平成7年11月27日、創業者である加藤鉦一は肝がんのため死亡します。その半年ほど前のことです。ちょっと健康診断に行ってくるといって、父である加藤鉦一は1週間の予定で入院しました。3日で出てきました。怪訝に思いましたが、父は3日間病院にいて考えた。社長を代わるぞと言いました。お前には70になったら譲ると言ってたろ、と聞いてないことを言い出しました。
バブル崩壊の中、赤字経営になっていた中のことです。いやだとは言わせませんでした。8月に臨時株主総会を開き、社長交代を決めました。そして9月に入院、11月に亡くなりました。これが2代目加藤太伸の経営者としての始まりでした。
さて、創業者の時代を見直してみますと、高度成長の時代、インフレの時代でした。そしてそれがバブル経済だと気づかずに突き進んでいきました。時代の転換点で苦しみながらバトンタッチしました。
そして第二世代、いわゆる失われた30年の中で、低成長、デフレの中で私は経営を担うことになります。幸いにして生き残り次世代に移すことができました。
今、第3世代 加藤雄也の経営の時代に入りました。ここでまた大きな経済の変更が始まっています。いわゆるSDGSに象徴される自持続可能な経済成長の時代です。
不思議なことですが、時代の変化点で、経営が変わっていくことが感じられます。
いよいよ次回から、私の歩んだ道を述べていきます。